my bright tomorrow.

明日に向かってゴーゴゴー。

物理キーボードはこれからも必要とされるのか。

Impress Watch系ニュースサイトでほぼ同時期に掲載された2つの記事が違う角度で面白かったので。


まずはPC Watchのこちらのコラム。
【元麻布春男の週刊PCホットライン】 NECのキーボード搭載Android端末「LifeTouch NOTE」を試す

モバイルギアの再来」との声もあるNECのフルキーボードAndroid端末のレビュー記事・・・ですが、記事冒頭に延々と続くのは「iPhone/iPadにキーボード搭載モデルが選べないのはメーカーの押し付けであり、文字入力には物理キーボードこそ至高」という主張。
まぁ、これはこの後に続くLifeTouch NOTEの存在意義を際立たせる為の前振りなんですけど、その割には、

さて、本機を利用する上でカギとなるのは、何と言ってもハードウェアキーボードによる使い心地だ。これがダメなら本機のコンセプト自体が成り立たなくなってしまう、というくらい重要なポイントである。が、残念ながら筆者とはあまり相性が良くないらしい。
(中略)
というわけで、キーボードについての個人的な評価はあまり高くないのだが、このあたりは個人的な好みが強く出る範囲なので、ぜひ実機を触って試してほしい。

という残念なオチになっているのが泣けるところ。


で、もう一つの記事がInternet Watchのインタビュー記事。
「10年後の未来もキーボード入力だろうか」〜浮川夫妻に聞く、7notes開発の狙い -INTERNET Watch

こちらはiPad用エディタAppを開発した元ジャストシステム創業者の浮川夫妻へのインタビュー。単なるエディタAppでは無く、アプリ自体に手書き文字入力機能を搭載したのがミソ。何故手書き文字にこだわったのかというと、

浮川社長:10年後、みんながキーボードを使っているわけではないんじゃないでしょうか。もしかしたら、キーボードを使うことそのものが、旧式で変なことになっているかもしれません。

 今のかな漢字変換だって、いろんな経緯の中で出てきたじゃないですか。特別な訓練を受けないと機械に日本語を入力できなかった時代、エンジニアががんばれば、一億人が救われるのならがんばろうと当時思ったんですよ。コンピュータのために人間が教育を受けるのはミニマムで終わらせたいじゃないですか。

 手書きは生活のまま、私たちの生活そのものです。特別な教育は不要です。コンピュータのために特別なことをやるのはやめよう。コンピュータが近づいてくるのを当たり前にしようということかな。

キーボードで日本語を入力することを確立させた中心人物が、別にキーボードに固執せず、よりよい日本語の入力を常に模索しているのが興味深いです。

確かに、キーボードで日本語を入力するようになってせいぜい30年程度。それより遥かに長い歴史を持つ手書きの方がヒトとの親和性は本質的に高いのかもしれません。


LifeTouch NOTEと7notes、同時期に話題になったのは奇妙な巡り合わせですね。今が過渡期ということなんでしょう。