my bright tomorrow.

明日に向かってゴーゴゴー。

もう、大きいゲーム機が許容できない。

2020年という奴はオリンピックイヤーに成り損ね、コロナ禍一色の年となってしまったが、私たち(そう、私たち)ゲームファンにとっては「次世代ゲーム機の出る年」でもある。

「新しいゲーム機」という括りで言えばそれなりに毎年何かは発売されていたりするが、その中でも所謂「次世代ゲーム機」が発売される年というのは然程多くない。それだけ「メモリアルイヤー」なのだ、本当だったら。


だがしかし、ごめん、もう無理だ。

PS5にせよXBXにせよ、我が家にはあんな大きなゲーム機はもう置けない。あれ程の大きさのゲーム機はリビングには似つかわしくなってしまった。ゲーム機が邪魔者にされない世界を目指していた いわっちゴメン。

特に現世代から次世代にかけてのゲーム機において、元来内包しているインタラクティブ性と、昨今の極みに極まった壮大さが渾然一体となって高みを目指し更なる没入感を勝ち取っていく一方で、より家庭内における「パーソナルな存在」へと進んでいる気がしている。


そして「内容はパーソナル」なのに、家庭内における存在感がデカすぎるのだ。

以前の世代であれば、リビングに鎮座ましましたゲーム機を家族構成員でタイムシェアリングして思い思いに使うこともあっただろうが、スペックと佇まいがゲーミングPC寄りになり極みに達した壮大さをも伴った現代のゲームズは最早そんなにファミリー受けしないのだと思われる。

だからこそ、存在感的にもゲーム内容的にもファミリー受けするSwitchの方がヒットしているわけで。

なので、AVルームを持つようなお宅には「おあつらえ向き」の設置場所があるだろうし、もちろん一人暮らしされてる方には何の問題もないと思われるが、そういう意味からも、今回の内容は至って私個人の環境に因るものであるということは重々理解するものである。

あるけれども、メモリアルイヤーであるにも関わらず蚊帳の外にされているような心持ちの私としては、このような愚痴の一つも書きたくなるのもご理解いただきたいところだ。